昔、彫刻家の小糸淳司氏が、私の少年少女の立体像について批評を書いてくれました。
最近また彼がSNSにこの批評を載せてくれ、とても嬉しかったので、ここに転載します。
カイトサイコの「少年」「少女」像
足を引き摺るように空間の中に立つジャコメッティの彫刻像に向き合うと、自己防衛本能が働き、身体を斜めに構えてしまう。斜めなら正面の場合と違い剥き出しの”孤独感”や”虚無感”の直撃を100%受けることがないからだ。
先日カイトサイコの「少年」「少女」像を初めて見る機会があった。
「少年」「少女」達の”優しさ”に魅了され、思わず正面から向き合ってしまった。作者自身がワインのケースにぴったり入ると説明する、本能的に両手で抱えて愛でたくなるサイズに感情移入を始めてしまったのだ。
「しかし待て、どうもただの”優しさ””癒し”だけではないぞ」と気付いた頃には時既に遅し。
「少年」「少女」像達の世界では、どうやら”優しさ”が”寂しさ”と不可分の対を成しているようなのだ。ジャコメッティを観賞する場合と違い、粘膜の免疫系を突破され、気が付いた時には”寂しさ”に搦(から)め採られていたのだ。
この”寂しさ”は時間と伴に体内でバージョンアップを繰り返し、ジャコメッティに勝らずとも劣らない”孤独感”に変質する曲者である。更に始末の悪いことに、体内に侵入されながらも繊毛(わたげ)がかすかに震える程の快感を伴うため、”優しい孤独感”との長い共存生活を余儀無くされてしまうのである。
2011年1月 小糸淳司
ちなみに小糸さんの作品はここから見られます→小糸淳司作品